「つむぐ」とは、それぞれ個性を持つ人たちがお互いの「得意」や「好き」を紡ぎ合わせ、こんなことができたらいいな、こんな社会になったらいいなを実現したいと2016年に立ち上げました。
わたしはこの「紡ぐ」という言葉が子どものころから大好きでした。
1本の細い糸が縒りをかけることで強くて太い糸になる。その糸が縦横に組み上げられていくことで布となっていく。
それが人と人との出会いも同じだなと。
人ひとりができることなどたかが知れている。だけど、人が一人また一人と増えていけば知識や経験が集まって、それが大きなことを成し遂げられる力になる。
点と点がつながって線になり、線と線が繋がって面となる。それが地域の本来の姿ではないかと思ったのです。
地域貢献、社会貢献というと大きなことのように思えますが、きっとこの点を線に、そして面にしていくことがいずれ地域や社会に貢献できることになるのではないかと思うのです。
紡ぐという言葉を辞書で引くとこんな風に書かれています。
綿や繭 (まゆ) を錘 (つむ) にかけて繊維を引き出し、縒 (よ) りをかけて糸にする。「糸を―・ぐ」
(比喩的に)言葉をつなげて文章を作る。多く、物語や詩歌などを作ることをいう。「思いを五・七・五の言葉に―・ぐ」
goo国語辞書より引用
人が生まれるときに父親・母親からもらったもの、それらを根本的に変えることは難しいものかもしれませんが、人が生まれ出て育つ過程で、親兄弟、親戚といったつながり・地域とのつながりの中で育っていく中で手に入れたものを携え、自分の足で歩き始めます。
学校に通い、友だちや先生に出会い、仕事を始めれば上司や同僚、後輩と出会う。育っていく、生きていく過程で「出会い」はとても大切な要素です。出会いは価値観との出会いです。自分とは違う、自分と似ている価値観に出会うことで、その人は「個性」を身につけていきます。
たくさんの知識を与えられ、経験の機会を得、それが生きる知恵となっていく。
ただ知識を与えられるだけでは知恵にはなりません。ただ経験をしただけでは知恵にはなりません。
知識という糸と経験という糸に縒りをかけて、強くて太い糸、それが知恵です。
実は、わたしは子どものころから劣等感の塊でした。自分には何もない、何もできない、そう思って育ちました。人より何かが劣る、人に比べて環境が整っていないと嘆くことしかできず、自分で自分を諦めることが多くありました。
そんな自分が大人になって「好きなもの」に出会うことで、わたしの人生ががらっと姿を変えました。それは本当に小さな出会いであり、きっかけでした。出会った当初はただ「好き」だったことが、それを活かせる場所を得て、たくさんの出会いを経て経験を積むことで今の自分がいます。今思えば、それは本当に小さな出来事。でもそれを逃さなかったことでわたしは「わたしのままでいられる場所」「ずっと学び続けられる場所」を得ることが出来たのです。
そのことでわたしは人と出会うこと、そして会話を交わし、力を合わせることの楽しさを知りました。それは同時に、どうやっても分かり合えない、どうやっても思い浮かべる姿にならない悔しさや悲しさ、虚しさを知ることにもなりました。でも、それ自体を後悔したことはありません。楽しさ、悔しさ、悲しさ、虚しさを味わったからこそ、「当たり前にあるものではないこと」を知ることが出来たのです。
わたしは思うのです。人ひとりで成せることなど本当にたかが知れていると。でも、ひとりじゃなければ達することができるかもしれない。確かに人と関わることは良いことばかりじゃありません。考え方や感じ方が違う、それが個性だと思うのですが、個性と個性が向き合えば良いこともあるけれど辛いこともあります。
ですが、お互いの持つ力、知識や経験を持ち寄ることでひとつ膨らみ、深みを増すとしたら。それにチャレンジすることができるとしたら。
人は何かしらの「力」を必ず持っています。劣等感の塊だったわたしでさえ、手に入れることが出来ました。手に入れるには機会が必要です。そして知識を得なければなりません。その機会を作ること、それが「つむぐ」に込めたわたしの思いです。
ひとりひとりが持つ「力」を自分自身が理解できる機会を作り、それを活かせる場を作る。
そんな機会や場を作ることが出来たら…。わたしは「つむぐ」をそのスタート地点にしたいと思っています。
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